昭和の団塊の世代ゎ立派な社会人になって働いて一家の生活を一人で支える大黒柱なんて常識もあったなぁ
ども、常識なんざ犬も食わへんと本気で思ってる三郎ダス
世の中にゎ常識が溢れかえってるんで、全てを網羅できやせんが思いつく限り出しやす
・老人には席を譲れ
・年長者の言葉は絶対
・長寿は何よりの宝
・若い頃の苦労は買ってでもしろ
・仕事の報酬は仕事
・頑張れば給料は後から付いてくる
・会社や学校には始業時刻の1時間前には到着する
・成功は上司の手柄、失敗は部下の責任
・飲み会で若い者は幹事やなければお酌をして回る
・一度しか教えない
・結婚して一人前で、結婚できない奴は欠陥
などなど、常識なんてのゎ考えもつかないほどありんす
しかし、常識ゎ誰のためにあるかって?
それゎ、常識が流行ると都合のいい上級国民のためにありんす
例えば、結婚して子を増やせなんてのも、将来の納税者を確保したい官公庁にとって都合が良し
昔ゎ高齢者の数も少なく、知恵袋とか言う具合に経験で若い者に貢献したお年寄りもおりんす、しかし、今ゎ高齢者ゎ敬って当然とか席を譲れとかチンタラするなとか罵倒入れたりって言う老害が増えてきた
そして、なんと言うても常識が一番都合の良い人物がおる、それゎブラック企業の経営者で、常日頃できるだけ安くこき使うかを考えて、常識を擦り込んで従順で文句を言わないソルジャーを量産することができるから
常識に囚われている社畜ゎ、会社で仕事するのも常識だと思い、苦労するのも常識だと思い、激務で疲弊するのも常識だと思い、退職なんて常識から外れるのを恐れて踏み出せないなど、常識ほど社畜育成に効果的なものは無い
では会社に居て常識から外れるとどうなるのか、それは叱責、罵倒のパワハラやったり陰湿姑息なイジメのターゲットにして、精神的に追い込む手段に出ることだ
パワハラやイジメゎどうしたら終わるかって? 辞めるか死ぬかだ
つまり、ターゲットになっても生きてたかったら辞める以外の道ゎ無いのだ、辞める以外の道を探そうとしても、気力体力が底をついて自死に至るわけ
辞められない理由があるってのも大抵常識に囚われていることが多い
・世間体が悪い(見栄っ張りだけが痛いが)
・親族に顔向けできない(遠方の親族なんて疎遠だが)
なんて、常識から抜け出せない田舎ほどその傾向がある、都会ほどはみ出し者の受け皿となっているからだ(ホームレスとかだが)
もし会社でイジメのターゲットにあったら、常識など捨てないと生きていけない、つまり、逃げは生存戦略に他ならない
常識を疑うことが生きる希望になることもあるのだから
最後に、常識を疑うことについての参考書籍のリンク出して〆やす
「疑う力 「常識」の99%はウソである」
「常識を疑うことから始めよう」