実力には「天・地・人」がある

力にも、天の力と地の力と人の力があるのをご存知だろうか?

人→地→天の順に実力を紹介しよう。

まずは人の力、いわゆる努力と呼ばれている類である。

努力とは得てして苦痛なものである、後述する地の力や天の力に抗う為の努力ともなると、苦労の量も大きいから効率がいいとは言えない。

次に地の力、いわゆる才能とか地力と呼ばれている類である。

地の力があると、人の力つまり努力する効率も上がる。

しかし地力がある者は努力ばかりを強調することが無い、なぜなら地力がある者にとって、努力はそれほど苦痛にならないからだ。

そして、天の力、いわゆる運である。

「運も実力の内」と言うのも肯ける、なぜなら、どんなに努力や地力があっても、運が悪いと全て水の泡になってしまうくらい天の力は強力なものである。

努力ばかり強調する輩もいるが、人の力で天と地をネジ伏せてやるという大言壮語に他ならなく、地力や天の運には逆らえない事に対する足掻きとしか思えない。

しかしながら、現実に成功しているのは天地人全ての力を兼ね備えている人である、地力があって努力もし、そして、天の運に恵まれたものである。

かのビル・ゲイツ氏も、Windowsの大ヒットという天運に恵まれたからこそあんなに稼げたのだ、ただ、地と人の力があってこそ天の力を得られた。

力の強さは天>地>人の順番である

しかし、変えれる力は人>地>天の順番である

日本では努力ばかりが美化されているが、地力と天力が蔑ろにされて、努力が全てという風潮さえもある

しかし、努力だけが正義というのは傲慢なこと甚だしく、天運を舐めているとしか思えない、天運に恵まれないと、どんな努力も無駄になる。

1%の運がなければ、99%の努力は全て無駄になる。

精神論や根性論も、努力ばかり強調する。

ただ、ワシは精神論や根性論は大嫌いだ。

なぜなら、努力が足りないと叱咤し、それで自分の限界をはるかに超える苦労を強いられて、自殺や過労死によって死に至る危険な思想であるからに他ならない。

努力は自分の限界を超えることを美学とされるが、努力が他人によって強いられたものであると甚だしく苦痛で、周りの全てが鬼に見えるくらいの生き地獄に苛まれることだろう。

自分らしく生きたいのなら、最小の努力で最大の成果が出せる方法を探し出し、人事尽くして天に委ねるのも一つの道。

過度な努力から解放されたほうが、生きやすい世の中だとワシは思う。

努力というものから解放される、ひいては努力が死語になら無い限り、この国に未来はない!

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